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カルボナーラの発祥・由来に関する4つの説をまとめてみた。実は最近のレシピ!?

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カルボナーラはイタリアで考案された、世界でももっとも有名なパスタ料理のひとつです。しかしその発祥と歴史についてはあまりわかっていません。カルボナーラはローマの伝統料理だという説明が日本で広まったことがありました1)。しかしこれも正確ではありません。

どの地方で、どのようにして生み出されたのかについてはいくつかの説があり、それを紹介したいと思います。
カルボナーラの有力な発祥地としてあげられるのはおもに4つの地域です 。
まずはローマ、2つ目はアブルッツォ地方のアペニン山脈周辺、3つ目はナポリ地方,4つ目は北イタリアのポレージネ地方です2)

 

ローマ発祥説

1つ目のローマ発祥説は、1949年1月21日にイタリアの有力誌『La Stampa』が掲載しました。 この記事では、アメリカの一般的食材とローマの地方料理が結びつき、カルボナーラの原型ができたと述べられています3)

『La Stampa』によると、カルボナーラ誕生のきっかけになったのは、当時この地方に駐屯していたアメリカ人将校です。

第2次世界大戦末期の1944年のローマ解放以来、連合国軍を代表して多くのアメリカ兵がこの地に滞在していました。
アメリカ家庭で一般的な食材だった卵とベーコンを使う料理をだしてくれと、アメリカ人将校がイタリア人コックに頼んだのではないかと『La Stampa』では考えています。

ローマを含むラツィオ地方には、チーズと黒コショウをパスタに混ぜる地方料理(Gli Spagheti a Cacio e Pepe)がもともとありました4)。ローマにいたコックのひとりが、アメリカ兵の好きなベーコンと卵を地元の料理に加えることを思いついた可能性が誌上で指摘されています。

カルボナーラの起源として、この説はいまもっとも有力視されています5)

多くのひとがこの説に納得する理由として、第2次世界大戦終了前のローマ周辺に、カルボナーラのレシピが存在しないことがあげられます。

たとえば1930年に発売されたアーダ・ボーニによるローマ地方料理のレシピ集 のなかに、カルボナーラは含まれていません6)
しかし1954年に刊行されたエリザベス・デイヴィッドの著作 中では、ローマ料理のひとつとしてカルボナーラが紹介されました7)

ローマ周辺でカルボナーラが広まった時期は、第2次世界大戦終了前後である可能性は高いといえます。このことが、アメリカ兵の存在とローマを結びつけるこの説の大きな根拠となっています。

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ローマ発祥説をとる場合、カルボナーラの歴史は現在までで約70年です。伝統料理というよりは、ローマ起源の現代料理とよぶほうが正しいことになります。

アブルッツオ地方の炭焼き職人発祥説

2つ目はアブルッツォ地方のなかのアペニン山脈周辺を発祥地とするものです。アペニンの森には炭焼き職人たち(carbonari:カルボナーリ)がたくさん働いていました。彼らが持ち歩く食材が、カルボナーラのヒントとなったのではないかとされています。

重労働な炭焼きを行う炭焼き職人たちは、体力をつけるために、高カロリーな卵とチーズを好んで食べました。この食材にパンチェッタやラードなどの動物性油脂を加え、炭焼き職人向けに考え出されたのがカルボナーラの原型だといわれます。

この説の根拠となっているのは、カルボナーラに使われるパンチェッタのアブルッツォ方言です。パンチェッタのことを、この地方ではカルボナーダといいます 。
料理に欠かせないカルボナーダ(パンチェッタ)がなまって、カルボナーラとよばれるようになった可能性があります8)
また炭焼き職人たちの名称(カルボナーリ)も一因となっている可能性があります。

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ナポリ発祥説

 

3つ目はナポリ地方を発祥とする説です。これは、これは1839年にナポリで刊行されたイッポーリト・カヴァルカンティによるレシピ集が根拠となっています。9)

著作のなかで、チーズ、卵、黒コショウを使う料理をカヴァルカンティは紹介していまます。カルボナーラにも共通するこの食材の組み合わせは、ナポリの郷土料理のなかにいまでもよくみられるものです。

これが原型であるとするなら、カルボナーラの起源は19世紀以前にさかのぼります。
ナポリ発祥説の場合、1つ目のローマ発祥説よりもはるかに長い歴史をカルボナーラはもっていることになります。

とはいえ、カルボナーラの起源がナポリ伝統料理だと決めつけることはできません。
食材の組み合わせにはたしかに大きな共通点がありますが、ナポリでは火を通したあとの卵を料理に加える調理法が一般的です。
生の卵液をパスタにからませるカルボナーラとは、この点が大きく違います。

政治団体名由来説

4つ目は北イタリアのポレージネ地方をカルボナーラの発祥地とする説です。
もっとも新しい考え方で、ガリーナ・マリアーニとラウラ・テデスキが2000年に共著のなかでこの新説を発表しました。10)

マリアーニとテデスキによれば、カルボナーラの名の起源となったのは、約170年前に活動していた極左政治団体カルボナーリ党です。

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19世紀オーストリアの支配に対抗して、この政治結社はとくに北イタリアでさかんに活動を行っていました。しかし迫害され、イタリア統一前の1830年代にカルボナーリ党はほぼ消滅します。

ポレージネ地方は、カルボナーリ党支持者のとくに多かったところでした。オーストリアに対して勇敢に戦った党員を悼む風潮は、この地方ではいまでもとても強いものです。
カルボナーリ党の功績を称える気持ちから、ポレージネ地方のひとがこの料理に彼らの名をつけたとマリアーニとテデスキは主張しています。

2005年には料理専門誌『Vie del Gusto』もこの説を支持しています 。カルボナーリ党がかつて集会場として使っていたという、ロヴィーゴ県フラッタ・ポレージネ市にある老舗レストランも誌面で紹介されました。11)

 

まとめ

ローマ+アメリカ軍説、炭焼き職人説、ナポリ発祥説、政治団体名説

これら4つがカルボナーラの発祥をめぐるおもな仮説です。仮説によっては私たち日本人の認識と違い、カルボナーラはここ数十年足らずの歴史しかないということになります。
しかしいずれも決定的な根拠に欠けています。カルボナーラの発祥地についての議論は、これからも続くことになるでしょう。

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参考文献

1)Anna Gosetti Della Salda, Le ricette regionali italiane, Milano, Solares, 1967.
2)the story behind spaghetti carbonara
3)“La Stampa.Consultazione Archivio”. archiviolastampa.it.

4)300 Ricette Regionali Italiani, a cura del Centro Iconografico dell’Istituto Geografico De Agostini, Novara,1996, p.51
5)La vera storia della pasta alla carbonara
6)Ada Boni,  La Cucina Romana, Roma, Newton Compton Editori, 1930.

7)David, Elizabeth, Italian Food. Great Britain: Macdonald.,1954.
8)Pasta alla carbonara - Wikipedia
9)Ippolito Cavalcanti, Cucina teorico-pratica: col corrispondente riposto ed apparecchio di pranzi e cene, con quattro analoghi disegni, metodo pratico per scalcare, e far servire in tavola, lista di quattro piatti al giorno per un anno intero, e finalmente una cucina casareccia in dialetto napoletano con altra lista analoga, Napoli, G. Palma, 1839.

10)Galina Mariani; Laura Tedeschi, The Italian-American cookbook: a feast of food from a great American cooking tradition. Harvard Common., 2000, pp. 140-41.
11)Carbonara Club - Storia